人生はアドリブ劇場
「人生は(全員主役の)アドリブ劇場」だと常々わたしは思ってはいるものの、
実生活では臨機応変(アドリブ)が苦手な「不器用さん」
事前に予想していたこととは違う展開になると
すぐに頭が真っ白になってしまいアタフタ
周囲からの評価は生真面目、頑固
「もっと肩の力を抜いて」
よく言われたものです。
(もっとも、歳を重ねて少しはゆるんで来たところはありそうですが)
そんな「不器用さん」に向けた本を見つけました。
不器用さんは「柔軟な発想」が苦手。
どうやら著者も「不器用さん」だったけれど、
言語化し続けることで、思考をとりまくある存在に気がついたとのこと。
自分の「思い込み」の外にある「アイデア」を見つける方法
今回はこちらの本のおはなし
行動を支配する「思枠」の存在
この本にでてくる「おもわく」は、
思惑(あらかじめ考えていた事柄、考えや意図)ではなくて、く「思枠」
思枠とは”行動を決定する前にすでに心に抱いてしまっている思考の枠組み”
普段ひとは行動する前に無意識で「〇〇なら△△すべき(または)△△だ」と、
自分の思考で枠(価値基準)をつくり、その中で行動をしています。
それは、「お札」(見方を変えればただの紙切れ)など規模が大きすぎて気がつかない
思枠だったり、「家にずっといるなら家事もきちんとするべき」など普段行っている行動の裏にある考えなど、わたしたちはそれぞれがもつ「思枠」の中で生活しています。
不器用さんはこの「思枠に囚われやすい」とのこと。
自分のもつ思考の枠の中で考えていて、(もしかすると自分と異なるかもしれない)
他人の「思枠」に気がつかない。
たしかに思考の融通がきかない=自分の中にある考えの枠に囚われているとも言えます。
本書のタイトルにある「思考の枠を超える」には、その枠の存在に気がつくことが第一歩とあります。
そして臨機応変が苦手な不器用さんは「意識」偏重型
器用な人は「無意識」を信頼し体と思考の操縦をまかせてしまうことができる、
不器用さんは体の動きも、考えも「意識」が操縦しなければならないという
思枠に支配されていると。
(意識=わたしが操縦している←ある意味、我が強いということですかね)
しかも「意識」は「無意識」と違って体と思考を操縦するのがヘタクソ、だなんて!
(思い当たることバンバンで耳がいたい)
「思枠」に気づく
どんな思枠を自分が、または周囲が採用しているかに気づかないと、
枠の外にある考えには辿り着けません。
本書では思枠に気づく方法として3つの方法が紹介されています。
・観察:
目の前で起きている事や人物を「評価」せず「ありのままの姿」を観察する
「視点」ではなく「視座」(自分の立ち位置)を変える
・言語化:
「分かっている」と「分からない」、「知っている」と「知らない」の
境界線を明確に把握する
・前提を問う:
「疑う」のではなく、その思枠が成り立つ「前提」を問う
「身体と心の操縦」が得意な無意識に対して、
意識は「観察」と「言語化」が得意。
意識偏重型の不器用さんは、意識が得意とする「観察」と「言語化」をつかって
その行動の元になる「思枠」が何であるかを俯瞰してとらえてみよう!
ということですね
たしかに頭の中にあるものを言語化することで、
自分の思考が客観視でき、思考の点と点がつながって枠の存在に「あ!」と
気がつくことができます。
さらに本書は無意識に採用している「思枠」の存在に気づいたら、
その思枠をずらしたり(=新解釈を加える)、思枠を破ったりと
これまで無意識だったものから意識的に思枠を操る方法へと続きます。
感想
凝り固まった思考から抜け出して、
発想を転換するヒントが欲しいとこの本を手にしました。
読み進むにつれ、書かれている育児でのやりとりや部下への声のかけかたなど、
他者とのうまくコミュニケーションしていくヒントになるものだと思いました。
(自分の思枠と異なる他者の思枠に気づき、適切な思枠へと変えていくヒント)
また、「どうせ」を「どうせなら」への発想
(ネガティブなことがポジティブへ変わる可能性がある)
著者の実体験に基づく、その気にさせる子どもへの声掛けや
歴史上の人物がとった思枠を操るやり取りなど
具体的な例がふんだんに紹介されていて読みやすい一冊でした。