娘からみた父の姿
パッと見ただけで、それぞれがだれの娘なのかわかるタイトル
ゲゲゲといえば「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる
レレレといえば「レレレのおじさん(バカボン)」の赤塚不二夫
らららは「ウランちゃん(鉄腕アトム)」の手塚治虫
昭和の天才漫画家を父にもつ娘たちが父について語り合う内容です。
水木しげるは1922年生まれ、赤塚不二夫は1935年生まれ、手塚治虫は1928年生まれと
親世代が近いこともあり、お子さんもそれぞれ同世代
(3人の対談はまるでガールズトーク)
天才漫画家を父にもち同じ時代に生まれ育った3家族それぞれの父娘のはなしは、
漫画を読むだけではわからない「父の姿」が語られていて、とても興味深くグイグイ読み進める本でした。
三者三様の家族模様
第一章のタイトルが「ずっと父が好きだった」とあるように
読んでいて、みなさん、
忙しい父親の背中を感じながら愛し愛されて過ごした伝わってきます。
特に印象的なのは、対談中に出てくるそれぞれ父親の呼び方
「お父ちゃん」・・・水木しげる
「おやじ」 ・・・赤塚不二夫
「父」 ・・・手塚治虫
これだけでも、父親の人柄、家族模様が伝わってきます。
水木家は困窮生活時代、姉妹で新聞配達しよう!と家族で結束して乗り越えようとする
赤塚家はいろんな人が家に住んでたり、タブーがまったくない自由奔放
手塚家は会社が倒産しても、観光バスをチャーターして家族で旅行へ行ってしまう。
有名漫画家といえど、経済的に困窮したりと各家庭なかなか大変な時期もあった様子。
さらに、それぞれの生活や作品から語られる「父の女性観」は
異性の娘だからこその視点で作品を「そう読み取るのか」と興味深いです。
「作品の中のワタシ」は表紙絵にあるように、
作品に自分の愛娘をモデルにしたキャラクターがあるようで、
家族への想いを感じる一面です。
同時に、亡くなった父親の作品から
『作品の中で父が何を考えて、悩んでいたのか大人になった自分が探す』
というくだりは心を打つものがありました。
本作は手塚治虫について手塚治虫の長女るみ子さんが語っていますが
るみ子さんにはお兄さん(手塚眞)がいらっしゃって、お兄さんはるみ子さんと異なり、
「作家 手塚治虫」として普段から見ていたそうです。
そういった点ではこの本は、息子たちではなく「娘たち」だからこその視点で語れる素の姿(父)のはなし。
(私も父のことが好きな娘であることもあり)父への想いに共感できるところもありつつ、
天才漫画家を父に持つ娘という特殊な環境で生まれ育った視点は語られてこそだなぁと
興味深い一冊でした。
おまけ
鳥取県出身の水木しげると言えばゲゲゲの鬼太郎など妖怪作品が有名で、
それは少年時代「のんのんばぁ」から妖怪のはなしを教えてもらったことが、
素地になっていると言われています。
水木しげるの故郷と近い岡山県北で戦前にあった不思議な話が語られる
こちらの本を読むと、「のんのんばぁ」のお話、もしかするともしかして???
と思えてきます。